しづ心なくインターネット

おポエム申し上げます

my room is goodあるいはわたしの自立

ひとり暮らしの魔力に憑りつかれてしまった。
社会人1年目の転勤初日、perfumeワンルーム・ディスコを聴きながら荷ほどきをしたときから。
今日は夕飯いりませんと言いそびれて帰宅前後で2回ごはんを食べることもなければ、同じ空間にいる誰かの虫の居所が悪くて、息が詰まるような気持ちで部屋へ逃げこむ必要もない。
冷蔵庫には好きなものだけ入っている。気温の上げ下げの基準を作るのは自分。キャンプごっこと称して床にブランケットを敷いてごはんを食べて、そのままマットレスで寝るときの自堕落なわくわく感は最高だ。
ドアのこちら側で起こることの責任は、誰と分担することもなくすべて自分にあるのだという晴れがましさを一度味わってしまったら、それを知らなかったころにはどうしたって戻れないと思う。

転勤解除で地元が任地になったとき、実家に戻らないことを選んだのはそういうわけだった。
親戚が持っている空き家に入らないかと勧められたこともある。
各駅停車の電車しか停まらない駅からは自転車10分、秋になると屋根裏にいたちが走るわ、床が抜けかけている部屋があるわの古い家だったものの、誰の目を気にせず、タオルを巻いただけでお風呂から部屋へ移動できる生活を手放すか、上げ膳据え膳の実家暮らしかをはかりにかけると、即いたちとの同居に傾いた。
とはいえ実家へは1時間弱で着けるので、月のどこかの週末だったり、長めの休みだったりは帰省するのが常だった。

そんな帰省の折、母親と口論になった。
まあしょうもない、私が乾燥機を母親の思うより長く回しすぎたとかそういう理由で、そんなもん言っといてくれんと知らんがな的な内容だったのだけど、売り言葉に買い言葉でヒートアップしていった。
私は母親の怒る声に弱い。長年の刷りこみもあって自然に涙が出てくるし、畳みかけられると反論もできないので、実家にいたときは部屋に引っこむしかなかった。
その日は違った。持ってきた荷物をまとめて実家を出た。
そうしても、ちゃんと私の日常は続くからだ。
友達・親戚の家やホテルに逃げこむのじゃそうはいかない。
自分が決めた条件を満たす生活拠点があって、選んだものだけに囲まれて、そこの主人として過ごせるのじゃなくちゃ駄目だ。
そして今の私にはそれがある。
近鉄電車の温かい座席で、途方もなく安らかな気持ちだった。
母親とはすぐに和解したけれど、その日以来、実家は私にとって「行く」ところになった。
ちょっとしたお守りのような意識だ。

これまでの人生、自立ポイントだと思っている箇所はいくつかある。
通帳記帳された初任給の額面を見たとき、先輩なしでプロジェクトへ配属されたこと、初めてのひとり旅。
そのうちのひとつとして、自分の部屋へ戻るために半泣きで駅へ走った日も数えている。
私のことを私だけが支配できる喜びのためなら、たまの夜に感じるもの悲しさも、冷蔵庫の深くから発掘した謎のタッパーを開ける緊張感も甘んじて受け入れたい。
自分だけの空間を持っているって、面白いくらい自信になる。